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        日韓類似ことわざの相違性の研究-日本語学習者の作例をもとに―

        다바타미쓰코 한국일어일문학회 2011 日語日文學硏究 Vol.79 No.1

        本研究では、先行研究において類似するとされている日韓のことわざ96句を対象に、その相違点の存在を明らかにするために日本語学習者の作例を考察した。その結果は、下記のようにまとめられる。①各クラスで作例のために使用された学習者のことわざには、その使用頻度数に偏りがみられた。これは学生の使用しやすいことわざの現れだといえよう。②日韓で比喩の素材が同じものの場合、不自然な作例はほとんど見られなかったが、比喩の素材の異なることわざでは不自然な作例が多く見られた。また、韓国のことわざが上位概念にあるものに不自然な作例が多く見られた。③先行研究において対応するとされた日韓類似ことわざの対応の検討が必要なことわざも見られた。(例:本末転倒:배 보다 배꼽이 더 크다、漁夫の利:죽 쑤어 개 좋은 일 한다など) ④ことわざを使った作例を分析することにより、母語のことわざの干渉があることがわかった。⑤不自然な作例が多く見られたことわざは、次のようなものである。 一寸の虫にも五分の魂 ・・・ 9名中9名(100%) 지렁이도 밟으면 꿈틀한다 絵に描いた餅 ・・・ 27名中24名(88.89%) 그림의 떡 飼い犬に手を噛まれる ・・・ 18名中13名(86.67%)믿는 도끼에 발등 찍힌다 花より団子 ・・・ 14名中12名(85.71%) 금강산도 식후경 焼石に水 ・・・ 6名中5名(83.33%) 밑 빠진 독에 물 붓기 夫婦喧嘩は犬も食わない・・・ 5名中4名(80%) 부부싸움은 칼로 불 베기 本末転倒 ・・・ 19名中10名(52.63%)배보다 배꼽이 더 크다

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        日韓類似ことわざの提喩関係 ─ 日韓学習者の作例をもとに ─

        다바타미쓰코 한국일어일문학회 2012 日語日文學硏究 Vol.81 No.1

        本研究では、先行研究で提示した「隠喩+提喩」型を基準に日韓ことわざの同質性と異質性を追究した。研究の対象としたことわざは、先行研究で類似されるとされてきた類似ことわざ24句(日韓合計48句)で、これらのことわざを用いた日韓それぞれの学習者に作文を実施し、その作例を対照考察の資料として進めた。第一に、日本人韓国語学習者が作文を書く際、選択することわざは平均的ではなく、韓国人の日本語学習者同様にさまざまであった。日韓で共通に好まれることわざ、共通に好まれないことわざ、韓国語学習者には好まれるが日本語学習者には好まれないことわざ、また、その反対のことわざなどが整理できた。第二に、日本人の韓国語学習者の作文の正誤結果は、韓国人の日本語学習者のように明らかな傾向が見られなかったが、日韓同様に母語の干渉が見られた。第三に、「隠喩+提喩」型を基準に提喩関係から日本のことわざが上位概念、日本のことわざが下位概念、日韓のことわざが共に下位概念、その他に分けてそれぞれ図式化し考察したところ、大部分は自然な作文が見られたが、不自然な作文では母語の干渉が見られ、その要因はことわざの概念(意味)の相違ではなく次のような制約のためであった。例えば「하룻강아지 범 무서운 줄 모른다」の「무서운 줄모른다」は「つっかかる」場合に使う。「やぶ蛇」は、第3者への介入があって成立する。「飼い犬に噛まれる」は、上から下の者へ使われる。「믿는 도끼에 발등 찍힌다」で「裏切られる」相手としては一般的に友人、恋人である。「소 잃고 외양간 고친다」は、大きな損失が出るくらい後悔する場合に使う。第四に、「日韓類似ことわざは、提喩関係にあることわざである」と定義付けするならば「키 크고 싱겁지 않은 사람 없다」と「大男総身に知恵が回りかね/うどの大木」、「금강산도 식후경」と「花より団子」、「밑 빠진 독에 물 붓기」と「焼き石に水」は、幾つかの韓日(日韓)辞書で類似するとされているが、意味上類似性(s)を見い出せず、提喩関係では表せない。したがって類似ことわざではないと判断した。

      • KCI등재

        ことわざの比喩に関する一考察 -江戸いろは」と「上方いろは」を中心に -

        다바타미쓰코 한국일어일문학회 2011 日語日文學硏究 Vol.78 No.1

        本研究では「江戸・上方いろは」を対象に認知言語学的な立場よりことわざに内在する思考のプロセスを考察をしつつ比喩の類型分析を試みた。その分析の基準として従来の隠喩、換喩、提喩の3つの型に「隠喩+換喩」型「換喩+提喩」型「隠喩+提喩」型の3種類を加えた6つの類型がそれぞれ見られ、図式化することができた。その結果は次の通りである。①隠喩型は、性質の類似性(S)に着目してYをXで言い換える「YはXだ」型と「YはXだ」の型をとらない擬人法に分類できた。YをXで言い換える転義は主に「人間を動物で言い換えるもの」と「抽象を具象で言い換えるもの」の二通りのパターンが見られ、擬人法は、ことわざにおいても人に見立てる対象を生物(動植物)に限らず、一般の抽象物まで拡大したものが見られた。②換喩型は、容器(場所)と中身、道具と機能、全体と部分、実体と属性、省略形、数字などの項目に分類できた。③提喩型は、種で類を表わすものと類で種を表わすものに分類でき、上位概念と下位概念の包摂関係を具体的に提示することができた。類で種を表わす提喩型は、句全体のものと句の一部のものに分類できた。④「隠喩+換喩」型は、「臭いものに蠅がたかる」と「臭いものに蓋」2句のみであった。⑤「換喩+提喩」型は、「泣き面に蜂」と「寺から里へ」2句のみで見られた。この時の提喩は、種で類を表わすものであることがわかる。⑥「隠喩+提喩」型は、「YはXだ」型で表した「X」は、ことわざ全体に現われ「Y」はことわざの表象には現われない。Yの下にいくつもの下位概念を持つものである。この時の提喩は、「換喩+提喩」型のそれとは違い、類で種を表わすものであることがわかる。比喩の類型の中で最も多く、一覧表に示したように45句で見られ、江戸・上方いろは全句の半数近い約47.4%を占めた。

      • KCI등재

        日本語學,日本語敎育學 篇 : ことわざの比喩に關する一考察 -「江戶いろは」と「上方いろは」を中心に-

        다바타미쓰코 ( Tabata Mitsuko ) 한국일어일문학회 2011 日語日文學硏究 Vol.78 No.1

        本硏究では「江戶·上方いろは」を對象に認知言語學的な立場よりことわざに內在する思考のプロセスを考察をしつつ比喩の類型分析を試みた。その分析の基準として從來の隱喩、換喩、提喩の3つの型に「隱喩+換喩」型「換喩+提喩」型「隱喩+提喩」型の3種類を加えた6つの類型がそれぞれ見られ、圖式化することができた。その結果は次の通りである。①隱喩型は、性質の類似性(S)に着目してYをXで言い換える「YはXだ」型と「YはXだ」の型をとらない擬人法に分類できた。YをXで言い換える轉義は主に「人間を動物で言い換えるもの」と「抽象を具象で言い換えるもの」の二通りのパタ―ンが見られ、擬人法は、ことわざにおいても人に見立てる對象を生物(動植物)に限らず、一般の抽象物まで擴大したものが見られた。②換喩型は、容器(場所)と中身、道具と機能、全體と部分、實體と屬性、省略形、數字などの項目に分類できた。③提喩型は、種で類を表わすものと類で種を表わすものに分類でき、上位槪念と下位槪念の包攝關係を具體的に提示することができた。類で種を表わす提喩型は、句全體のものと句の一部のものに分類できた。④「隱喩+換喩」型は、「臭いものに蠅がたかる」と「臭いものに蓋」2句のみであった。⑤「換喩+提喩」型は、「泣き面に蜂」と「寺から里へ」2句のみで見られた。この時の提喩は、種で類を表わすものであることがわかる。⑥「隱喩+提喩」型は、「YはXだ」型で表した「X」は、ことわざ全體に現われ「Y」はことわざの表象には現われない。Yの下にいくつもの下位槪念を持つものである。この時の提喩は、「換喩+提喩」型のそれとは違い、類で種を表わすものであることがわかる。比喩の類型の中で最も多く、一覽表に示したように45句で見られ、江戶·上方いろは全句の半數近い約47.4%を占めた。

      • KCI등재

        日本語學,日本語敎育學 : 日韓親子關連のことわざ對照硏究 -子の視点からの親像-

        다바타미쓰코 ( Tabata Mitsuko ) 한국일어일문학회 2010 日語日文學硏究 Vol.75 No.1

        本稿は、韓國と日本、兩國の諺を認知意味論の立場から發信者の「視点」に着目し主に比喩表現の對照考察を試みるものであり、その目的は、諺に內在する人人の思考のメカニズムを追究するところにある。資料とする諺は、日韓母體とする辭書の中から「親子」關連の諺を選出し、さらに「子の視点」から生じた諺に絞り「恩」「信賴」「(親より)良いもの」「權威」の4つの意味項目別に收集した。分析の基準は、主に隱喩、換喩、提喩の3種類の比喩表現である。その結果を要約すると次の通りである。①日韓ともに共通する点は、「特殊をもって一般を語る提喩」が多くみられた点、諺の特質上當然のことと思われるが隱喩は大部分が<抽象>を<具象>に喩える諺が多かった点である。②「恩」の項目では、日韓「親の恩」は、海、山、水、天地(韓國は「天」)に喩えた隱喩で共通しているが、比喩の種類が異なるものがあった。「七光、七所照らす」(隱喩)と「팔자」「가문」(換喩)また、日韓對應する言葉でも上位槪念と下位槪念が異なるものがあった。③「信賴」の項目では、日本の諺には「共感覺メタファ―」の類型を發見できた。一方、韓國は狀況描寫によって親に會えた喜びや離れた悲しみを表した隱喩が見られた。④「(親より)良いもの」は、「火」と「夫」は共通するが、日本は、主人、師匠、食後の休憩であり、韓國は、友、お金、自分の物である。比喩表現については、換喩、隱喩、提喩さまざまに見られた。⑤親の「權威」は、日本では、親の聲は「神の聲」、親の意見は「冷酒」·「茄子の花」、親の동めは「牛のしりがい」に喩えられるのに對し、韓國では「부모말」が「문서(文書)」に喩えられており、隱喩が使われている。

      • KCI등재

        일본어 학습자의 커뮤니케이션 능력과 전략, strategy 고찰

        다바타미쓰코 ( Tabata Mitsuko ) 한국일어일문학회 2014 日語日文學硏究 Vol.89 No.1

        비모어화자는 다양한 방법을 사용하여 커뮤니케이션을 하는데 그 오류라고 할 수 있는 비모어화자 표현은 그 나름의 고심한 산물이라고 할 수 있다. 그러므 로 커뮤니케이션교육에 있어서는 비모어화자에게서 나타나는 자료에서 그들의 고민과 일본어 운용 실태를 명확하게 하는 연구가 필수적이다. 본고에서는 한국어를 모어로 가진 일본어 학습자의 커뮤니케이션 능력과 그 전략에 대하여 연구하였으며, 학습자의 배경과 오용에 초점을 맞추어 고찰하였 다. 분석 결과, ``ね, よ, よね``의 사용, ``웃게 만드는 기술``, ``청자의 이해를 도우는 배려``, ``共話(두 명 이상이 하나의 발화를 같이 이해한다는 전제 하에 말을 완성 해 나가는 이야기방식)``, ``の/んだから``, ``포말, 인포말 표현의 혼용``, ``なんか, やっぱり``등의 필러(filler)에서 학습자의 사회적 및 비사회적 전략을 찾아볼 수 있었다. 이것이 그들의 개성이며 그들의 고유한 전략이 반영된 것으로 본다. The nonnative language speakers are using various sort of method doing for their communication, but it is misused doing for their communication, but it is misused, their peculiar expressions are their devised production. Therefore, the educational communication for them is, from the data of nonnative language using, we have to find their type of study and real condition of practical use, so we think such kind of research to clear should be very important. This manuscript is considerate of the communication ability and its strategy for the Japanese language learner who is using Korean mother-language. As a result I found the two big aspects. The first one is can observe progressive posture of strategy, using of last postpositional particle ``NE, YO, YONE``, think hard for take the laughing consideration to help listener`s understand, and ``KYOWA`` - more than two speaker talk about one thing and helping each other to understand, making the way to talk also. The another one is, to the listener making displease and feeling of fear by strategy using ``NO-NDAKARA``, mixing to use expression of formal and informal, and ``NANKA``, ``YAPPARI`` of etc, to use kind of fillers. For that result, on the learner`s communication of strategy, we have known, there was bigly influenced by the way of study, learning object, and personal ideas, than learner`s learning experiences. These are personality of them and their original strategy was very clearly and reflected.

      • KCI등재

        「靑頭巾」에 나타난 맹자사상 ― <心放せば妖魔となり、收むる則は佛果を得る>를 중심으로–

        이기명,다바타미쓰코 한국외국어대학교 일본연구소 2019 日本硏究 Vol.0 No.82

        Readers of 「Ao-Zukin(;The blue headwrap)」 often consider Zen master KaiAn’s quotation('Kokoro-yuruseba yoma-to-nari, osamuru-toki-wa Bukka-o-eru'; 'If your heart is strayed, you will be a devil, but if your mind is preserved, you will reach the state of Nirvana') as a Buddhistic sentence, because of the word <Bukka(;Nirvana)>. However, by a detailed analysis of the sentence, you can realize that It is not a Buddhistic Teaching(;especially Zen Buddhism). For example, <Kokoro; heart)> in KaiAn’s quotation, means a preserved heart that you must always keep, while Buddhism usually teaches you that you must be free from <Kokoro>. Furthermore, <Yurusu(=Hanatsu)> in KaiAn’s quotation, means 'throw out or abandon', while Buddhism’s use of the same word usually means 'set free'. Therefore, the connection type of <Kokoro-yuruseba → yoma-to-nari(;If your heart is strayed → you will be a devil)…> goes against Buddhistic Teachings. Instead, you can see similarities between Kai An’s quotation in 「Ao-Zukin」 and Chapter. KaoTzu(11) of 『Mencius』, in meanings of <Kokoro>, <Yurusu(=Hanatususu)>. The author AKINARI UEDA seemed to be interested in Mencius's thoughts for his writing days of 『UGETSU-MONOGATARI』. For example, There are in-depth discussions about Mencius’s revolution theory in his 『UGETSU-MONOGATARI』’s first Episode, 「Shiramine(The white mountaintop)」. Accordingly, you may also consider the Influencing Relationship between 「Ao-Zukin」(『UGETSU-MONOGATARI』’s 8th Episode) and 『Mencius』. For the above all reasons, Kai An’s quotation in 「Ao-Zukin」 seems to be an author AKINARI's original thought in which he tried to combine and renew Buddhism with Mencius's thoughts.

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