本論は、日本議會における議論のなかで資源外交をめぐる爭点を中心に、いつ資源 外交が現われ、どのように政策的かつ一般的に使われたのかについて考察する。また その過程と變容は...
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2012
Korean
913.005
KCI등재
학술저널
85-106(22쪽)
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本論は、日本議會における議論のなかで資源外交をめぐる爭点を中心に、いつ資源 外交が現われ、どのように政策的かつ一般的に使われたのかについて考察する。また その過程と變容は...
本論は、日本議會における議論のなかで資源外交をめぐる爭点を中心に、いつ資源 外交が現われ、どのように政策的かつ一般的に使われたのかについて考察する。また その過程と變容はいかなるものであったのかを明らかにする。 この時期の日本資源外交の現れと變容には、いくつかの段階があった。第一は、議 會からの强力な要請に應じて愼みながら資源外交を公然と言い出す段階である。第二 は、惱みのなかで資源外交を展開するが、中東地域における政情の不安定や米國の世 界戰略と相まって進展はできず、やむをえず停滯してしまう段階である。反面、この 過程において日本が試みた中國に對する資源外交の意圖は現時点で考えても畵期的 だったと言えよう。第三は、日本の資源外交がイラン問題というハ一ドルに會うと余 儀なく座絶され、多角化と效率化という別の道を開く段階である。議會の發信から始 まった日本の資源外交が日米關係に縛られていたことは、中東地域に限ってのものか 否かは今後の日本資源外交の行方を占う材料になるだろう。