この論文の目的は, 幕末期から明治期の間に現れるの推量表現の變化の過程を明らかにすることである.現代東京語では色色な形式の推量表現か使われてるが, 本稿では「だろう」と助動詞...
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다국어 초록 (Multilingual Abstract)
この論文の目的は, 幕末期から明治期の間に現れるの推量表現の變化の過程を明らかにすることである.現代東京語では色色な形式の推量表現か使われてるが, 本稿では「だろう」と助動詞...
この論文の目的は, 幕末期から明治期の間に現れるの推量表現の變化の過程を明らかにすることである.現代東京語では色色な形式の推量表現か使われてるが, 本稿では「だろう」と助動詞「う」に限って調査の範圍を絞った. 資料は幕末期カら明治30年代までの作品を使って, 會話文の中に出てくる推量表現を, 話し手の生別や年齡あよ話し手と聞き手との關係などを中心に考察した.
以下, 槪ね次のことガ言之よう.
一つ, 當時, 推量表現の用法としてもっとも廣く用いられている形式は「だらう」であった.ただし,女性は「だらう」に終助詞や他の助詞などガついて用いられる傾向ガ見られる.江戶末期の作品である『浮世風呂』, 『梅曆』では「う」刑が多く用いられているが, 幕末期·明治期の作品は「だらう」刑がずっと多く現わていることから, 幕末期から「だらう」と「う」の分化の現象がに起こっていたのではなかろうか.
二つ, 「であらう」およぴ「たらう」の使用者はすぺて男性のみである. 話し手のは主に武士や書生, あるいは學問のある高年齡層の人がほとんとであることから, その使用における制約があったように思われる.
三つ, 「浮世風呂」や「梅曆」ではすぺて「形容詞+う」形のみ現われていた. しかし今回の 調査では全作品を通 して小數ではあるが,形容詞に「だらう」が下接した形式が現われ始めた.
四つ, 「ませう」「でせう」刑が用いられる場面は「だらう」や「動詞·形容詞+う」の使う場面とは對照的であって, 話し手は相手に心理的距離を持って話す時や改まって丁寧に話すとき等の場面で多く現われている.
こうしたことから, 各各の推量表現の形式は, 話し手の性別や年齡, 社會的身分, あるいは話し手と聞き手との社會的關係などによつて使い分けのあることがわかる.
今後の課題として, 現代東京語で使われている他の推量表現にいての硏究も進めるべきであろう.