鄭人沢の日本語小説研究 - 「清涼里界隈」と「覚書」を中心に - 朴 京 洙 全南大学校大学院 日語...
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광주: 전남대학교 대학원, 2007
학위논문(석사) -- 전남대학교 대학원 일반대학원 , 일어일문학과 , 2007. 2
2007
한국어
413 판사항(22)
광주
鄭人澤の日本語小說硏究
85p: 삽도; 26cm.
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鄭人沢の日本語小説研究 - 「清涼里界隈」と「覚書」を中心に - 朴 京 洙 全南大学校大学院 日語...
鄭人沢の日本語小説研究
- 「清涼里界隈」と「覚書」を中心に -
朴 京 洙
全南大学校大学院 日語日文学科
(指導教授 金 順 槇)
<日文抄録>
作家鄭人沢は1930年代、社会主義活動家の再起の過程と転向での決心を扱った小説「準備」で登壇し、モダニズム系列の心理小説から愛情小説・身辺小説を経て、積極的な親日文学者へ、そして解放以後の越北など、時代ごとに思想的変化とそれによる作品活動を見せてきた。
鄭人沢が文学活動を積極的に行なった日帝末期の1940年代前半の朝鮮は、朝鮮語と日本語の二重言語空間で長年'暗黒期'という帳幕に閉ざされていた。親日と越北へとつづく彼の行動と作家活動によって学界では関心外の作家として分類され、現在まで研究はあまりなされてこなかったのが現状である。
本研究では、鄭人沢の文壇登壇から越北までの作家活動と、生涯全般を通じて時期別にどのような文学的傾向が見られるのかを追うとともに、朝鮮文壇が不幸な試練を経験しなければならなかった、太平洋戦争絶頂期に集中的に発表された彼の日本語小説の中で、特に「清涼里界隈」と「覚書」を細かく分析することで、戦時期のアジ・プロ(宣伝・煽動)の様相とその時代像を究明し、研究者たちの関心外にあった彼の作品世界をより具体的に整理して見た。
筆者は、研究書とその他の資料を調査する過程で、今まで知られていない三編の少年小説をはじめ、多数の文学作品と彼の係わった新聞․雑誌等々の資料を新しく捜し出すことに成功した。こうした資料を土台に、先行研究での不確かだった鄭人沢の家系と作家デビュー前の行動、そして授賞名称などに間違いを見つけ、これらを明らかした。そして、時流によって適切に適応し、変貌を遂げてきた彼の文学傾向をよりはっきりと整理することができた。
このような鄭人沢の総体的な文学傾向と日本語小説「清涼里界隈」と「覚書」の分析を通じて次のように要約整理することができる。
今までの先行研究では鄭世沢が弟になっていたが系図資料を通じて鄭世沢はいとこ兄で、実弟は鄭大沢あることがわかった。さらに、<国語文芸総督賞>または<国語文学総督賞>に記録されていた賞名に混亂があった部分も、当時の新聞記事を根拠に<国語文学総督賞>に統一した。
さらに先行研究者金シニョン(2000)が整理した鄭人沢の文学作品に、小説7編、随筆7編、評論2編、報告文3編、アンケート 1編(総20編)を新しく追加した。
「清涼里界隈」と「覚書」での劣悪な貧困は、中心人物にとって極度の自己恥辱感に陥る要因になっている。この2作品は、未来が不透明で、貧困による不安意識と疏外意識に表出された内面心理に焦点が合わせられており、鄭人沢特有の心理主義文学世界が表われている。「覚書」では、展開される一連の行動のために、あらかじめその正当性の立地を用意している構造になっており、その事件を順次に敍述する額縁型一人称小説構造の技法が使われている。一方、主人公<私>の生まれてから成長過程を経て志願兵に申し込むまでの一連の過程が順次に展開して行く敍述技法に変化を見せている。
また、戦争期朝鮮の作家たちに文学を通して效果的な皇民化の要求とその実現の必要性などが多様な方式で提示された時期に、鄭人沢も日帝に順応され、皇国臣民化政策に積極協力し、文学作品に発表していく。そうした皇国臣民として進む方向を提示する皇道文学的性格が表れている。特に、鄭人沢の日本語小説では、生死を超越した国家観と自己犠牲を通じての、国家に対する奉仕などを内容とする戦時文学の宣伝・煽動などの著しい特徴が表われている。太平洋戦争戦時下の皇国臣民としての模範的な人物とその活動状況を説得力をもって提示している点で鄭人沢の軍国主義的な親日文学の傾向が表われている。国語(日本語)の文章を通じて戦争文学に大きく貢献したということで<第3回国語文学総督賞>を受賞するが、これによっていわゆる皇道文学作家としての立志をゆるぎないものとなったといえるだろう。
鄭人沢は、時流にうまく乗る適応力のすぐれた作家であったといえる。彼は、歴史の激動期を経ながら変貌する時代の指向点を作品に形象化していった。社会主義志向で啓蒙性濃い少年小説に、心理主義や世態小説に、そして、文学活動が難しくなる状況に置かれると、太平洋戦争に対する宣伝・煽動に力点を置いた戦時文学で、さらに解放後の混乱期には左翼に傾倒していたが、その時も思想から脱するために少年小説に続けたのである。
このように鄭人沢は、一度も時代に逆流できず、その時その時の時代変化に順応して作品活動を引き続けたのである。並々ならぬ彼の作家活動と文学世界を、どのようにしたらうまく説明することができるだろうか。今日の韓国社会を見ると、国を奪われた経験を持っているがゆえに悲しくも被害意識に捕らわれ、まるで断罪する何かの対象を探しあさっているようだ。鄭人沢のように気の弱い性格で、時代に志向点を捜すことのできなかった現実を考えての彼の文学的追究が、その時代状況の中でどのような作用と反作用を引き起こしたのかはさておき、国家が保護することのできなかった個人の生活を、一言で断罪することは難しいといえるだろう。表面に現れない作家の心理までも作品を通じてもっと幅広く、より深く硏究を進行しなければならないと思われる。
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