日本における西田哲學に對する一般的見解によれば,西田の初期著作は論述が簡明であり,論理的であるので合理性をもち,これに反して,西田の後期著作は論述が晦澁であり,論理的...
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日本における西田哲學に對する一般的見解によれば,西田の初期著作は論述が簡明であり,論理的であるので合理性をもち,これに反して,西田の後期著作は論述が晦澁であり,論理的...
日本における西田哲學に對する一般的見解によれば,西田の初期著作は論述が簡明であり,論理的であるので合理性をもち,これに反して,西田の後期著作は論述が晦澁であり,論理的飛躍があるので非合理性をもつ.このような見解は論理的整合性と不整合性だけを基準として見たものである.
しかし,これとは別に思想が現實的妥當性をもつか否かを標準として見た場合には,西田の初期著作,例えば,善の硏究における "意識現象が唯一の實在である." "意識が身體の中にあるのではなく身體がかえって自己の意識の中にある." "意識の外に或る定まった性質を具えた物の本體が獨立に存在し,意識現象はこれに基づいて起る現象にすぎないと考えられているが,しかし,嚴密に意識現象を離れては物そのものの性質を想像することはできぬ."などという文章が示すように,初期の西田哲學は,まったく觀念論の立場に立っているが,これを井上哲次郞の現象卽實在論,サルトルの現象卽本質論,ハルトマンの批判的存在論など,實在論的傾向の哲學思想と比べて見るときに,西田哲學の非現實的思考が目立ち,したがって,それが非合理性をもつと見ることができる.
しかるに,西田の後期著作,例えば,「現實の世界の論理的構造」という論文は,その題目がハルトマンの著作 實在世界の構造(Der Aufbau der realen Welt)と似ているが,內容においても兩者ともに,具體的現實世界の構造分析をなしている.このように,後期の西田哲學はハルトマンの哲學思想と多くの共通点をもつようになる.西田は後期において,とくに歷史的現實における人間のポイエシス(製作)とプラクシス(實踐)を重んじているが,このような後期西田哲學が示す具體的現實性から,その合理性を發見することができる.
以上のように,小論においては通說とは反對に,初期の西田哲學が非合理性をもち,かえって後期の西田哲學が合理性をもつものであることを,井上哲次郞,サルトル,ハルトマンなどの現實主義の哲學思想と比較しながら立證することによって,後期西田哲學の重要性を明らかにした.
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