『청령일기 』は、『世の中にいとものはかなく』からその序頭が始まり、下卷に至って、『世の中いとあはれなり)』ヘ變わっていくことに作者の世と世の中に對する意識が分かる。『...
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국문 초록 (Abstract)
『청령일기 』は、『世の中にいとものはかなく』からその序頭が始まり、下卷に至って、『世の中いとあはれなり)』ヘ變わっていくことに作者の世と世の中に對する意識が分かる。『...
『청령일기 』は、『世の中にいとものはかなく』からその序頭が始まり、下卷に至って、『世の中いとあはれなり)』ヘ變わっていくことに作者の世と世の中に對する意識が分かる。『청령일기』では「はかない」及び「あはれ」の用例と「世·世の中」が關わって作者の無常觀を表している。「うき世」と「宿世」の用例は作者の罪障意識と宿世意識をはじめとする全體的な傳敎意識を表している。本稿では以上の『청령일기』に表れている作者の「世·世の中」に對する意識を考察し、作者の全體的な宗敎意識とそれにしたがう作品の展開の樣子を把握しようと試みた。
この結果から得られた『청령일기』の特徵は、作者が日記の序文で初めて表した「世·世の中」に對する「はかない」の意識から、下卷の「あはれ」の意識へ變わったということである。これは21年の間、愛した夫に向けて嫉妬した愛の結末からできた作者の宗敎觀であり、人生觀でもある。こいして成し遂げられなかった「世·世の中」に對する愛執·愛着の世の中から反轉された諦觀の世の中が作品の下卷の世界、すなわち物語の結末を主導する意識としてその位置を占めている。また、作者の「世·世の中」に對する具體的な意識には、「憂し」語と合成された「うき世」の意識がうかがわれる。この「うき世」は、『청령일기』の創作動機になった自分の不幸な世界觀を表した言葉である。作品の「うき世」の意識は「はかなき世」·「あはれな世」と共に作品を構成する一つの軸なのである。『청령일기』にみえる「世·世の中」に對する作者のこういうパタンは、作者によってあらかじめ計劃された構成によるものであると思われる。日本の古代の日記文學である『청령일기』が持つ特性とは、日常的な記錄という日記の條を離れて、以上のような作者の宗敎觀·人生觀が回想の文學に表れているということである.
しかしながら『청령일기』において宗敎的な意識の問題は. まず, 宿世に對する根源的な理解が欠けており、罪障の意識も伴っていないということである。また、作者の理智的な性格がこの信仰に優先してびたび信仰心が妨げられている。夫と息子の存在が信仰より重く意識され、それが出家の差し支えになっているのもこういう性格によるものである。作者の宗敎意識は斷片的·瞬間的·部分的なところが强かったといえる。こういう作者の宗敎觀は、一人の人間の世界觀·人生觀の構成にその指標としては與えられなかったといえる。
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