日本における「美術」?念は、芸術のための諸制度の整備と一?したものとして確立される. それは、西洋の普遍化された知の輸入によって形式的に制度化されたものでもあった. しかし日...
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2013
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300
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학술저널
301-321(21쪽)
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日本における「美術」?念は、芸術のための諸制度の整備と一?したものとして確立される. それは、西洋の普遍化された知の輸入によって形式的に制度化されたものでもあった. しかし日...
日本における「美術」?念は、芸術のための諸制度の整備と一?したものとして確立される. それは、西洋の普遍化された知の輸入によって形式的に制度化されたものでもあった. しかし日露戰爭以後になると、西洋的な普遍性を見直そうとする傾向が强まり、なかでも文?や美術分野においては著作や美術品をとおしてより具?的な形であらわれる. またこのような普遍性の見直しは、日本ひいては東洋美術をみずから「發見」する動きに?がることとなる. とくに大正8年(1919)頃は、「東洋美術への傾倒と同時に日本畵への回歸を伴う」ことが見られるが、その一例として<白樺>における東洋への?換と「奈良付近の古寺を見物したときの印象記」の<古寺巡?>が出版されたことなどがあげられる. しかし、このような美術界の日本回歸への動きには、まだ日本の原点を西洋の原点とするギリシアとの比較の中で求める思考にしばられていた. このような?況の中で、柳宗?は?自の「不二」思想を用いて時代の言?とやや距離をおく. この「不二」思想においては、矛盾まで受け入れ調和することの普遍性が語られる. また、それは、「知識」「理性」というよりも「味識」「直?」を通して、事物を理解する論理でもある. このような理解の方は、西洋の「知」の論理によって普遍化された美?に對抗する新しい見方を提示した. そして、この「不二」思想のもとで朝鮮の美をみいだし、?存の朝鮮に關する美の言?とは違う見解を見せる. つまり、朝鮮の器物を通して、朝鮮の多?な美を見出し、朝鮮の美の?値を評?していた. それは、朝鮮の器物を集め、朝鮮の美を?げる場としての「朝鮮民族美術館」の設立まで?がたのである. このように「不二」思想によって發見され、?系化された朝鮮の美は、以後「民芸」理論の中にも受け?がれるだけではなく、1930年代に朝鮮における「朝鮮的なもの」を形成するための動きにも、日本の?統の見直しとともに取り組まれる「日本美?」樹立の批評の場でも用いられるようになる. つまり、朝鮮の美は、重い?史的背景の背負いながらも、多?な文化を創出する文化の仕組みとしても?いているのである.
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