本稿は島崎藤村「嵐」(1926年9月)における<私>(=父)と子供たちとの關係を,<私> の子育てについての考え方を中心として考察したものである.<私>は,お母さんをとくした太郎·�...
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本稿は島崎藤村「嵐」(1926年9月)における<私>(=父)と子供たちとの關係を,<私> の子育てについての考え方を中心として考察したものである.<私>は,お母さんをとくした太郎·�...
本稿は島崎藤村「嵐」(1926年9月)における<私>(=父)と子供たちとの關係を,<私>
の子育てについての考え方を中心として考察したものである.<私>は,お母さんをとくした太郎·次郞·三郎·末子といった四人の子供を抱えている.そして<私>は彼らの成長のために樣??な世話をしてきた.ただ<私>の子育てには,子供たちの成長とともに,<私>も一緖に成長していくという考え方がない.さらに,<私>は子育てになんの樂しさも見出していない.その意味で,<私>の子育ては父としての義務であり,責任であったと言えよう.いいかえれば,<私>の予育ては亡くなったお母さん代わりに過ぎなかった.つぎに,<私>のき活ぶりは人とかけ離れた(斷絶した)日常生活であった.たとえ,<私>のまわりに下女であるお德や家事を手つだってくれる姿がいたとしても,彼女らは<私>に積極的にアドバイスをしてくれる存在ではなかったし,彼女らにはそれができるカ(勸力)もなかった.だから,<私>は自分自身の考え方,特に子供の養育にかかわる<私>の見解を客觀的に見直すことができなかった.たとえぱ,<私>が太郎や次郎の將來を考えて彼らを田舍に歸させたこと(歸農)も,<私>にとっては,最高の選擇だったし,善意の行爲だったに違いない.しかし,そうした<私>の判斷や自己評價ははたして妥當だったのだろうか.ぃずれにしても,彼らの歸農は,<私>がかってに決めたことに過ぎない.すなわち歸農をめぐる意思決定過程からわかるように,<私>と子供たちと關係は,非民主的かつ一方的な關係つまり縱の關係だった.もっとも,ここで-つ注意しなけれぱならないことは,「嵐」における<私>の性格がただちに島崎藤村の性格とは結びつかないことである.確かに「嵐」は私小說(あるいは心境小說)である.だが,<私>の性格はあくまでも作品「嵐」の內部での性格に過ぎない.また,藤村のほかの作品で「嵐」における<私>と非常に對照的な<私>が設定されたとしても,それと「嵐」における<私>とを短絡する
ことに,今のところ筆者は興味がない.筆者のねらいは,あくまでも「嵐」における<私>と子供たちとの關係にあるからである.
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