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미조구치 겐지(溝口健二)감독의 작품 연구 -<잔기쿠 이야기(残菊物語)>를 중심으로-
김희경 한국일본어문학회 2011 日本語文學 Vol.51 No.-
溝口健二の1939年の作品『残菊物語』は監督の作品の中でも芸道三部作と呼ばれる作品の中で最初の作品である。この作品は監督特有の順従と犠牲の美徳を持つヒロインが登場するという点で1930年代のサイレント映画である『滝の白糸』と『折鶴お千』のような作品と同一な叙事を踏襲している。つまり、男を出世させようとする女性の献身を描いている典型的な新派メロディーの作品ということである。溝口はその後トーキー映画である『浪華悲歌』と『祇園の姉妹』で男性本位の社会に抵抗する積極的な女性を描いているが、過去新派への回帰ともいえるそういう現象は非常に異例的である。溝口は軍国主義が盛んだった当時、国家政策によって自由に映画が作れなくなり、やむえなく日本伝統芸術の世界を扱った作品に旋回したと言っている。溝口が述懐したように『残菊物語』は明治時代の芸道の世界という過去への回帰の傾向がみえる。しかし、その過去への回帰は素材と時代的な背景より映画が描いている主題意識の退歩的な回帰が問題である。溝口の述懐のとおりに『浪華悲歌』の方向に進もうとすれば頽廃的だと非難される難しい状況だったとしても順従と犠牲の美徳を叙事の柱にしたのは時代遅れという批判をまぬかれにくいだろう。映画の時代的な背景が仕方なかったとしても映画が作られた時点は1930年代後半であったことを忘れてはいけない。さらにお徳の犠牲と献身を恋愛譚から外れた物語に解釈するのは日本映画の三大巨匠である溝口健二のアウラを意識したのではないかと思われる。そういうアウラは溝口に対するヨーロッパの視線も一役しただろうが、それは主に映画の技法上の評価であったことを周知する必要がある。