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        韓·日 외교마찰의 의미

        장용걸 한국일본어교육학회 2003 日本語敎育 Vol.24 No.-

        明治元年から始まった朝鮮と日本との外交摩擦は「王」と「皇」の解釋をめぐっての靑磁イデオロギ-的な葛藤か、日本の途方もない征服の野心か、對馬藩主の經濟欲求による欺きであるとするような歷史學者の政治的、經濟的解釋が中心となっている。だが、そのような歷史學の業績を認めながらも、文化コミュニケ-ションの觀点から考え始めると、兩國の摩擦は單なる政治的、經濟的な論理だけで說明しにくい矛盾に直面することになる。そこで兩國の外交摩擦を「文化の否定性」、自己中心主義的な他者理解、アジアヒエラルキ-システムの認識のずれにような文化的コンテクストの摩擦として捉えることができだろう。 歷史學者は、近世と近代兩時代における韓國と日本との關係について、あるステレオタイプを作り出している。それは、近世が、「友好の關係」あるいは「善隣の關係」に象徵される時代であるのに對し、近代は「不幸な關係」あるいは「植民地主義」によって修復不可能な狀態が産み出された時代である。というものである。この二つの時だの兩國關係の特徵は、個??の時代の關係そのものよりも、二つの時代が明確な二項對立的な性か卯を持って提示されるということになる。そして、この二項對立性こそが、虛力な政治的イデオロギ-に支えられ、政治的言說の表舞台に現れたり隱れたりしながら現在の在續している。 このような二項對立性を具體的に象徵するものとして、近世の「友好の關係」には「朝鮮通信使」が當てられる。しかし。これらの兩時代に對する極端なイメ-ジは皮相的な解釋だといって良いように思われる。このような兩時代に對する極端なイメ-ジは皮相的の過ぎないとしても、どれは、一見、客觀的に光美姬出された體制をっている。でも、實はそうではなく、その背後には强固な政治的意義の構造が潛在しているのである。實際には、對立性は江戶時代の「友好」よりも明治時代についての硏究の必要性を强調する裏にはやはり、近代の日本の朝鮮に對する行爲の告發するという目的が潛んでいると考えられるのである。つまり、兩國關係の歷史硏究における解釋は、支配徒費支配あるいは加害者を被害者という圖式に偏っているのでる。これはまさに政治に偏執するからである。そこでは、兩國間のそれぞれの時代における文化的な關係の意味は見えにくいもおとなっている。また、それが見いだされる場合も、それは常に單線的で一方的なものとして描かれるのである。そのような關係の代表例が、「朝鮮通信使」や「征韓」あるいは「植民地主義」というステレオタイプ化した表象なのである。 朝鮮觀をいう他者へのイメ-ジは單に一元的に産み出されるものではなく、樣??な錯綜した意味付けが絡み合って多元的に産み出されるものである。歷史が取り上げている「朝鮮通信使」と「征韓論」の火種となったといわれる明治初期の外交摩擦には、單なる政治的な國家關係に還元できない樣??な異文化間關係が深く關わりを持っていたといえる。つまり、朝鮮と日本は政治的·經劑的なコミュニケ-ションを行ったのではなく。お互いに相手の國を「意味付ける」文化コミュニケ-ションを行ったわけである。 このように朝鮮と日本との關係を考える場合、少なくとも近世と近代初期については、單なる政治·經劑的な關係として圖式化し、「善隣關係」、「不幸な關係」に二項對立的な意味付けをひとまずおいて、新たに異文化理解と文化摩擦という社會·文化的なコンテクストから見直してみる必要がある。 朝鮮は常に自分を中國中心のアジアヒエラルキ-システムの中に閉じ??めたまま、明治維新以後急激に變わった日本の政治システムを認めることができなかったのである。だから天皇中心の日本權力構造を否定する一方で、日本を自分のアジア觀の中にいれコンで意味付けようとしたのである。 日本は天皇が新たな國家の最高統治者であるからそれを國書き入れることは當然であるし、中國中心のアジアヒエラルキ-システムの中に入ってないから、中國とは對等な立場であるという認識が强かった。そのため、そのような認識から朝鮮を意味付けようとしたのである。 しかしながら、明治政府のエリ-トが行った外交は征韓をするための政治的な陰謀としても考えられるだろうが、少なくとも、彼等の藩中心の封建主義的なシステムから考えると、江戶幕府と朝鮮との外交の舊例に關して知らなかったのである。なぜならば、朝鮮との新たな外交關係が曖いたとき明治政府は朝鮮と淸との關係、朝鮮と江戶幕府との關係、朝鮮通信使の役割などに關して情報を收集していたことと、朝鮮と中國との關係が幕府と藩との關係のように認識していたことからも明確にわかるだろう。

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