RISS 학술연구정보서비스

검색
다국어 입력

http://chineseinput.net/에서 pinyin(병음)방식으로 중국어를 변환할 수 있습니다.

변환된 중국어를 복사하여 사용하시면 됩니다.

예시)
  • 中文 을 입력하시려면 zhongwen을 입력하시고 space를누르시면됩니다.
  • 北京 을 입력하시려면 beijing을 입력하시고 space를 누르시면 됩니다.
닫기
    인기검색어 순위 펼치기

    RISS 인기검색어

      검색결과 좁혀 보기

      선택해제

      오늘 본 자료

      • 오늘 본 자료가 없습니다.
      더보기
      • 무료
      • 기관 내 무료
      • 유료
      • KCI등재

        韓国における日本現代詩の受容と共感 - 茨木のり子を中心に -

        호리마도카 일본어문학회 2016 일본어문학 Vol.74 No.-

        This paper examines how to enter into the spirit of poetry, especially those poems written by the post-war poet, Ibaragi Noriko, based on my teaching experiences in S. Korea. Ibaragi Noriko has attracted a number of studies among the academics and intellectuals in S. Korea. However, to what extent is this interest aroused in ordinary Korean readers and in young Korean students of Japanese? What are the unapproachable points of Ibaragi Noriko’s poetry for ordinary Korean readers? First of all, there is a matter of gender, followed by the issue of “Japanese-ness” and the features of the post‐war era in Japan and what might be described as the peaceful post‐war “liberal” atmosphere fostered in Japan. The questions raised by cross-cultural studies are as follows. What does it mean to read poems? Is it possible to read poems and other literary works without reference to cultural norms, cultural considerations, and the related historical perspectives? This paper addresses these questions by examining the characteristics of the post-war Japanese female poet, Ibaragi Noriko, who is appreciated to some extent by Korean and Japanese readers, and then tries to locate this figure in the context of the post‐war era of S. Korea and Japan. The purpose of this article is to enhance our understanding of the proper communications between different cultures, and to see within this overview the place of “empathy,” in order to consider the true cross-cultural literary scene of our Eastern Asia future. 本論は、日本人筆者が韓国で教育に携わった経験をもとにして、茨木のり子の詩の読まれ方について考察したものである。茨木のり子は、知識人や研究者による研究が少なくないが、韓国の一般の読者がその詩に感じる「けむたさ」はどのようなところにあるのか。第一には女性性の問題、次に「日本」性、そして日本の「戦後」性、について論じている。これは、詩を読むこととは何か、文化意識や文化的気遣いあるいは歴史観を抜きにして詩や文学を読むことが可能かということについて考えてみるための、文化研究からの問題提起でもある。韓日両国でいまも愛読されている茨木のり子という詩人の戦後詩人としての特質を考察し、それが日本近現代詩のなかでどう位置づけられるのか、ということについて批判的に問い直した。本論が目指すのは、「共感」の現場を曖昧に考えずに、文化的歴史的違和感も大事にすることから、真なる異文化理解と確かな「共感」の地点を捉えることである。日韓が過去から未来への東アジア文化環境と文学交流空間について考えていくための問題提起をした。

      • KCI등재

        戦争詩の系譜とラジオの台頭 - 野口米次郎の戦争詩をめぐって -

        호리마도카 한국일본사상사학회 2014 일본사상 Vol.0 No.27

        This paper examines the relationship between the modern history of Japanese war-poetry and radio-broadcasts involving YONE Noguchi. There is a long history of war-poetry in the West, but war poetry was not common in traditional Japanese poetry in the pre-modern period. In other word, Japanese war-poetry is a modern genre, which was approached through the reception of Western literary thoughts and methods. This article firstly verifies that Noguchi’s article, written in 1918, which served as an introduction on the emergence of English war-poetry during WWI and argued its innovative point upon the English poetic history. Noguchi’s explanation about the poetical modernization and the role of poets was handed down to the Japanese of the next generation: such as ‘the Grass-roots poets' (民衆詩派) and the modernists of the 1930-1940’s. Secondly, this study focuses on the fact that the mass production of war-poetry went out over the pervasiveness of radio-broadcasts. From the beginning, it was operated as a national public affair, or the propaganda agent for public strategy. As one anonymous author of the magazine ‘Bungei-shunjyu' (文芸春秋) has critically argued, the purpose and role of radio was not only ‘news reporting’, but ‘education’, ‘consolation’. This study, thirdly, approaches that of the self-understanding and psychological repression of poets in the wartime years, and analyzes the possibility of expression while under national control, through concerns of the obverse & reverse sides of radio-broadcasting. 本稿は、詩人・野口米次郎を中心に、新しいメディアの勃興と戦争詩の系譜について、考えたものである。西欧の詩史のなかでは戦争をテーマにした詩は数多く存在したが、日本の詩歌の伝統においては、戦争をテーマにしたものはきわめて稀であった。日本の戦争詩とは、西欧からの影響を受ける近代詩人たちのあいだで意識されて取り組まれるようになったきわめて近代的なジャンルであったといってよい。本稿では第1に、野口米次郎が1918年に発表していた、第一次世界大戦時の若き戦争詩人の出現と従来の国民詩の伝統に注目した論考を検討した。彼は、英国のルパート・ブルックやフレッカーらによるリアリズム式の戦争詩の出現が、英詩の革新や刷新の潮流をひきおこしていることを解説しながら、日本の詩人としての役割と使命がどうあるべきなのかを説いた。このような文学史観と詩人の役割意識は、日本の民衆詩派や昭和期のモダニズム詩人らに引き継がれていく。第2に注目したのは、この第一次世界大戦時に生まれた戦争詩認識がその後の社会とどう繋がったのか、という点である。日本において1930年代から戦争詩やナショナリズム詩が量産された時代は、ラジオの普及した時期とまさに重なった。『文芸春秋』の「ラジオ匿名批判」記事の検証からも明らかにされたが、ラジオは、開通当初 から国家の統制下にある国際広報戦のためのメディアであり、「報道」「教育」「慰安」が役割であった。そもそも正しい情報の速報性が主眼におかれたメディアではなかった。それゆえに、ラジオ放送局から求める戦争詩の内容とその役割に、おのずから制約が起こるのであった。第3には、そのような制約のあるなかで、詩人らがいかなる心理的抑圧をうけ、自らの役割を意識していたのか、国家を背負う使命感の背後にある戸惑いや抵抗の心境をいかに表現しようとしていたかを検証した。野口米次郎を含め、安藤一郎らのモダニスト詩人らは、第一次世界大戦の英国の戦争詩人らを挙げながら、戦争詩の在り方と位置を模索したのである。第一次世界大戦の英国の戦争詩人の出現に対する反応と、ラジオの台頭という社会問題は、日本の戦争詩を考えるうえで重要な意味をもっていたことを、本稿では論じた。

      • KCI등재

        近代日本におけるメレディス詩学の受容 - ハーンとヨネ․ノグチを中心に -

        호리마도카 일본어문학회 2014 일본어문학 Vol.64 No.-

        本稿では、英国の作家メレディスの詩学や思想についての日本での受容に注目して、日本近代の思想的変遷を探る。日本のメレディス受容に重要な位置を占めたラフカディオ․ハーンと、その日本理解を意識的に踏襲しようとしたヨネ․ノグチ。ノグチはハーン没後、独自にメレディスについての論考を重ねた人物であり、そのメレディス観は彼自身の後の日本主義への傾斜を示唆するものとなる。帝国大学で教鞭をとったハーンのメレディスに関する講義が、国内外でどのように受容されていたのか。そして当時の若い世代にもたらしたメレディスへの認識や理解は、ノグチの執筆活動の中、とりわけ戦時期の思想の中で、いかなる転換や理解を生んだと考えられるか。メレディスの思想や詩学が、聖戦や闘争の論理、日本主義やその後のウルトラナショナリズムへといかに展開したか。本稿はその軌跡を、明治期に因を発して大正期から昭和期のメレディス受容の中から探ったものである。

      • KCI등재

        野口米次郎の植民地経営に対する認識 - 1910年前後を中心に -

        호리마도카 일본어문학회 2014 일본어문학 Vol.66 No.-

        本稿は、日本語と英語の両言語で執筆していた国際派詩人の野口米次郎が、近代日本の膨張政策や植民地経営について、1910年前後にどう考えていたのか、とりわけ韓国併合に対していかなる認識を持っていたのかについて検証したものである。1910年当時は、『太陽』も含めて大多数の新聞雑誌が韓国併合を正当化する論調を示しており、それに対する批判や異論の声はきわめて少なかったが、そのような中、滞米生活の長かった野口の主張には彼独自の見解が見られる。野口の植民地経営に対する意識は、じつは滞米中の1904年ごろから始まっており、欧米寄りの視点が強く見られ、1910年頃には韓国併合への批判をする。それはいかなる論理であるか、本稿では、従来取り上げられたことのない資料をもとに、のちに日本主義を喧伝することになる詩人が、当時英語で何を発信していたのか、野口の主張が同時代の他の言論者たちとどのように異なっていたのかを検証し、彼の植民地経営の意識と変遷について論じた。

      • KCI등재

        野口米次郎の植民地経営に対する認識

        호리마도카(堀まどか) 일본어문학회 2014 일본어문학 Vol.66 No.-

        本稿は、日本語と英語の両言語で執筆していた国際派詩人の野口米次郎が、近代日本の膨張政策や植民地経営について、1910年前後にどう考えていたのか、とりわけ韓国併合に対していかなる認識を持っていたのかについて検証したものである。1910年当時は、『太陽』も含めて大多数の新聞雑誌が韓国併合を正当化する論調を示しており、それに対する批判や異論の声はきわめて少なかったが、そのような中、滞米生活の長かった野口の主張には彼独自の見解が見られる。野口の植民地経営に対する意識は、じつは滞米中の1904年ごろから始まっており、欧米寄りの視点が強く見られ、1910年頃には韓国併合への批判をする。それはいかなる論理であるか、本稿では、従来取り上げられたことのない資料をもとに、のちに日本主義を喧伝することになる詩人が、当時英語で何を発信していたのか、野口の主張が同時代の他の言論者たちとどのように異なっていたのかを検証し、彼の植民地経営の意識と変遷について論じた。

      • KCI등재

        近代日本におけるメレディス詩学の受容

        호리마도카(堀まどか) 일본어문학회 2014 일본어문학 Vol.64 No.-

        本稿では、英国の作家メレディスの詩学や思想についての日本での受容に注目して、日本近代の思想的変遷を探る。日本のメレディス受容に重要な位置を占めたラフカディオㆍハーンと、その日本理解を意識的に踏襲しようとしたヨネㆍノグチ。ノグチはハーン没後、独自にメレディスについての論考を重ねた人物であり、そのメレディス観は彼自身の後の日本主義への傾斜を示唆するものとなる。帝国大学で教鞭をとったハーンのメレディスに関する講義が、国内外でどのように受容されていたのか。そして当時の若い世代にもたらしたメレディスへの認識や理解は、ノグチの執筆活動の中、とりわけ戦時期の思想の中で、いかなる転換や理解を生んだと考えられるか。メレディスの思想や詩学が、聖戦や闘争の論理、日本主義やその後のウルトラナショナリズムへといかに展開したか。本稿はその軌跡を、明治期に因を発して大正期から昭和期のメレディス受容の中から探ったものである。

      연관 검색어 추천

      이 검색어로 많이 본 자료

      활용도 높은 자료

      해외이동버튼