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시마자키 도손의 「옛 주인(旧主人)」「짚신(藁草履)」에 나타난 여성상 연구
임태균 한국일본학회 2009 日本學報 Vol.78 No.-
明治35年11月に発表された「旧主人」と「藁草履」は、作者藤村が自ら「はじめて産れたる双児」と評したように、素材とモチーフなどの面で類似性を持つ短編である。『緑葉集』初期を代表するこの二つの作品は、女性像の造形の面で示唆するところが多いと思う。 本稿ではこれらの作品に表われる女性像を、主に「世間」に対する認識を中心に探り、それを「見る/見られる関係」の中で分析しようとした。まず「旧主人」では、話し手のお定の「覗き見」を通して、彼女の目に映った綾のエロスの問題を取り上げた。その上で、お定の心境の変化を、綾との信頼関係の破綻を中心に考察した。また「藁草履」では、主人公源吉の視点から少し離れ、妻のお隅の視点から彼女を眺める他者の視線に注目し、そこから社会的弱者としての女性像を浮彫りにしようとした。 小諸での生活を通して「新しい家」という夢を喪失した藤村は、「見る/見られる関係」を中心にした様々な人間関係の中で人間の内面に潜む性と本能を描き、人間の本質に迫ろうとしたものと考えられる。それによって結婚生活の実体と夫婦生活の破綻という現実を描き出そうとした作者の意図とともに、有機的関連性を持つ作品集としての『緑葉集』の独自的意義について論じたいと思う。
시마자키 도손의 『에트랑제(エトランゼエ)』론― 자기발견의 여행 ―
임태균 한국일본학회 2010 日本學報 Vol.85 No.-
本稿では『エトランゼエ』(1922.9)における<エトランゼ>としての自己発見とともに、戦争の嵐の中で春を待ち望むフランスの再生への意志を作者がどのように描いているのかを探り、さらには日本回帰に至る過程を明らかにしたい。フランス体験をもとに発表した作品には、『エトランゼエ』の他に『仏蘭西だより』『海へ』『新生』などがある。しかし、『エトランゼエ』はこれらの作品とはその構成や場面の展開、描写方法などの面で相違点が見られる。フランスへの旅の意味は、まず<エトランゼ>としての自己認識という側面から見いだすことができるが、『エトランゼエ』に登場する<エトランゼ>は、〈私〉の詩的形象化の意味を持つ『海へ』のそれとは違う性格を有する、孤独の産物として造形されていると考えられる。また日本とフランス両国の文化のイメージの対比とともに、日本回帰の道程においても、『エトランゼエ』は他のフランス体験をもとに発表した作品とは違う独自性が見受けられるという点で、作品の持つ意義は大きいと思われる。