http://chineseinput.net/에서 pinyin(병음)방식으로 중국어를 변환할 수 있습니다.
변환된 중국어를 복사하여 사용하시면 됩니다.
南得鉉 일본어문학회 2014 일본어문학 Vol.67 No.-
This study apply theory-based and practice-based curriculum to the existing teacher-directed injection and learner-based collaborative learning/ teaching and then compares and analyses the learners satisfactions for both methods, who are the undergraduates majoring in Japanese language. The result of this study suggests that Japanese Language Proficiency Test 2 favors the Cramming Method, while foreign field trip prefers the participatory one. Although this is derived from specialties of each curriculum, such as theory or practice, when even the teaching/learning method to be favored uniformly applies a specific teaching method to al curriculum without considering features of each curriculum and learners needs, it may decrease learners motivation and also negatively affect their satisfactions for classes. It seem to be necessary to develop the various teaching/learning methods through which effective management of the curriculum and satisfactions of both teachers and learners would be reconsidered in the future, by concerning about relevance of questionnaire items used in a survey of satisfactions, applying participatory teaching/learning method to grammar, conversation, reading, writing, culture and literature learned by undergraduates majoring in Japanese language in a college and examining the difference between the findings of this study and through of the future one.
存在動詞「ある」と「いる」の尊敬形式の考察 : 韓國語との對照を通して 한국어와의 대조를 통하여
南得鉉 한국일어일문학회 2004 日語日文學硏究 Vol.48 No.1
本稿は日韓兩國言語の存在動詞の尊敬形式を對照考察したものである。日本語の存在動詞は有生性百の區別があり、それによって「ある」と「いる」が使い分けられるという特徵を有する。このような現象が韓國語では仔在動詞の尊敬形式に見られることに注目した。 本稿の考察結果は以下の通りである。 1. 基本的には「おありだ」は「있으시다/issusita/」に、「いらっしゃる」は「계시다/kyeysita/」に對應する。 2. 日本語の「おありだ」と「いらっしゃる」は所有用法では有生性の區別が明確でなく、「いらっしやる」も「所有」の意味用法を持つ。 3. これにして韓國語では「있으시다/issusita/」と「계시다/kyeysita/」は有生性の區別が明確であり、「있으시다/issusita/」は有情物·非情物の所有の用法に「계시다/kyeysita/」は有情物の所在の用法に用いられ兩者の意味用法が明確である。 4. 2と3の理由で、「いらっしゃる」が所有の意味で用いられる際、韓國語では「있으시다/issusita/」に譯す必要がある。 5. 日本語の「おありだ」と「いらっしゃる」では尊敬の對象者た尊敬助詞を付さないが韓國語では「있으시다/issusita/」の場合は、「께/kkey/」が「계시다/kyeysita/」の場合は「께서/kkeyse/」が尊敬の對象者に付される。このことか\ら存在動詞の尊敬形式では日本語より韓國語の方が述語と主語及び主格助詞と\の呼應關係が複雜であることが窺える。またこの場合韓國語では尊敬の對象者に付\く助詞が何かによって後續する尊敬形式が豫測できるという特徵がある。 6. 韓國語で「있으시다/issusita/」と「계시다/kyeysita/」の誤用が多??觀察されるが、このことは日本語のような有生性のゆれの傾向が韓國語でも起こりうるという豫測ができることを意味していると言える。 日本語に限らず韓國語の存在動詞の尊敬形式は特殊な場面でないと現れないため、考察に必要な十分な資料を蒐集することは極めて困難であった。そこでウェブペジの總合檢索及び新間記事のデ-タベ-スから資料を蒐集したが、すべての資料を精密に分析することができず、整合性のある結論を見いだすことはできなかった。これらの不備な点を含め、韓國語の存在動詞の尊敬形式の誤用に關する再檢討は、將來の課題として殘されている。
현대일본어의 「あゐ」에 관한 일고찰 : 유정물의 존재주체와 공기하는 용법을 중심으로 有情物の存在主體と共起する場合を中心に
南得鉉 한국일어일문학회 2003 日語日文學硏究 Vol.46 No.1
本稿では日本の語の存在動詞「ある」の本動詞の用法を槪觀し, 「ある」が有情物の存在主體と共起する際の意味用法に中点を置いて考察を行なった. 殊にこの場合, 「ある」を「いる」に置き換えることができるが, 置き換える前と後とでどのような意味の相違が見られるかにも注目した. 以上の点を踏まえた上で考察を行なって得られた結果をまとめると次のようである. 1. 有情物の存在主體と共起する「ある」の用法を數的な有無, 狀態·屬性の有無, 部分集合の存在と所有に分類し, 數的な有無と狀態·屬性の有無の構文上の特徵を「いる」との相違を中心に具體化した. 2. 殊に有情物の存在主體と共起する「ある」の場合, 具體的な場所を表わす句が揷入された文では容認度が低くなるのに對して, 「いる」は容認度が增すが. このことは, この場合に「ある」が特つ有無の意味と「いる」が特つ所在の意味の違いであることを明らかにした. 3. つまり, 有情物の存在主體と共起する「ある」が具體的な場所句との共起に制約を受けるのは, 有情物の所在の意味は「いる」の意味範??であるからである. 4. 部分集合の存在と有無の用法は他の數的な有無, 狀態·屬性の有無とは違って, 「ある」と「いる」が使い分けられることなく用いられるという特徵がある. 殊に, 部分集合の存在の場合, その使用頻度が高いことか「いる」の意味擴張を早める結果となったのではないかと考えられる.