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        近世,近代における話題轉換語の「登時,登下/當下」について

        나공수 한국일본근대학회 2014 일본근대학연구 Vol.0 No.45

        日本の場合はどうであったのかを、ここでは便宜上「登時·當下·登下」の順に整理してみたい. 「登時」は、早い時期に受け入れられている. 日本の古辭書や、近世や近代の唐話辭書、それから明治期の漢語辭書にも登載されていて、日本人には比較的知られている語であるかのように見える. 主之して「すぐに·ただちに」の意味で用いられていたものが、近世の唐話學の流行により、「その之き」之いう話題轉換の意味への意味用法上の變化がみられるようになった. 「當下」は「當時」之同じもので、發音により意味が異なっている. 「當」の音が壹聲である之きに「その之き」の意味になり、四聲の之きは「すぐに·ただちに」の意味になる. 日本における「當時」の受容は早いが、「當下」は近世以降の資料に見られる. 中國においても非常に新しい語である「當下」は、唐話學の影響で受容され話題轉換語之して用いられていた. 日本では殆んどが「その之き」之いう意味の話題轉換語之して用いられている. 「登下」は、中國之日本での意味用法が全く異なる例である. 『漢語大詞典』の見出しでみたように、話題轉換之は無關系のものである. 日本ではどうして話題轉換之は全く異なる「登下」を「その之き」の意味で用いたのかについては明らかでない. ただし、壹つの可能性之して、「當時」之「當下」が類似性をもっているこ之から、近世に入ってきた「登下」も「登時」之類似性を持っている之考えて話題轉換の意味で用いた之いう子うに推測してみるこ之はありうるか之思われる. I will examine these words/phrases in the following order 「登時·當下·登下」. "Touji (登時)" was prevalent from the early period in Japan. We can find this word in classic Japanese dictionaries, in pre-modern and modern Chinese dictionaries, and in Kanji dictionaries of the Meiji Period. It was relatively well-known by Japanese speakers, and basically carried the meaning "immediately". However, it appears that it underwent a transformation to become the "Topic conversion" marker - meaning "then", under the influences of the pre-modern "Chinese Linguistic study. "Touka (當下)" is essentially the same as "touji(當時)", although it takes on a different meaning depending upon its pronunciation. When you say "Tou(當)" using the First Tone (壹聲/Yisheng), the meaning is "then"; but when you use the Fourth Tone (四聲/Sisheng), the meaning becomes "immediately". The meaning of "touka(登下)" in Japan, (which was quite novel even in China) came to be "then" under the influences of "Chinese Linguistic study (唐話學) ". Compared with "touji(登時)", "touka(當下)" has been used in various ways. The usage of "touka(當下)" is an outstanding example of difference between China and Japan. As this paper examines in detail the index of "Kango-daijiten『漢語大詞典』", the differences has no relevance to the "Topic conversion", and it is unclear why "touka(登下)" in the Japanese language had been used with the meaning "then". However, it might be considered that Japanese people used it as the "Topic conversion", because they noted the similarities between"touji(當時)" and "touka(當下)".

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        近代における「紅涙」について

        나공수 한국일본근대학회 2010 일본근대학연구 Vol.0 No.30

        本研究では、「紅涙」の意味用法について、近代を中心に考察した。この「紅涙」は、近世には主に読本に用いられ、用例も少ないのであるが、女性の流す涙という意味用法を持っている。近代、特に明治期には実に多くの「紅涙」の例が見られ、それ以前に比べ音読みの「紅涙」が大部分を占めている点が異なる。「紅涙」は種々のジャンルにわたっていて、近世よりは近代の方がはるかに広範囲に用いられている。まず、「繁昌記」は幕末から流行しているが、事実上の幕末の作品『繁昌後記』から見られるようになる。意味用法は、美しい芸妓が流す「紅涙」であるのが特徴である。明治初期の翻訳文学にもかなりの「紅涙」の例がある。政治的性格を持つ作品が多かったが、やはり実に美しい女性が流す涙であることが分かった。日本人による小説も翻訳作品と別段変りはなく、殆んどが美人の女性や普通の女性が流す涙であった。しかし、必ずしも女性専用のものではなく、特に戦争文学で痛切の思いを表わす涙として男性も「紅涙」を流している。また、少数ではあるが評論․感想文には男性․女性を問わない中立的な表現もあった。男性の「紅涙」の使用は相対的に女性の使用に比べ少ないけれども、小島がいうような和習ではない中国風の使い方が定着したわけではないのである。小島の意見は、用例の少なさからきた誤解であったと思われる。この現象は、現代における使用状況からも裏付けられる。現代の人は「紅涙」に馴染んでいないようでありながらも、色々な意味用法で用いている。まず依然として女性が流す涙として表現しているが、明治期に比べ、美しいという要素は弱く、平凡な女性の涙になっている。男性が流す「紅涙」は多くはないが、注目すべきは「日本人の紅涙」「国民の紅涙」のように、特に男女の区別をしない中立的な用法が大幅に増えていることである。また、「子女」「男女」のような共用的なものもあり、明治期の用法(幸田露伴)を引き継いでいるとも言えるが、大幅に増えていることが異っている点である。このように男女を問わない用法の多様化が進んでいる一方、「紅涙」とつながる述語は「しぼる」が大部分を占めていて画一化の様相もみられる。これは、ネットからの抽出であるので、明治期の文学と直接的に対比させるのは無理があるが、「紅涙」の使用の流れを把握することはある程度出来たと思われる。このように、「紅涙」はひっきりなしに変容していることが分かった。

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        近世,近代における中國俗文學的形式の受容

        나공수 고려대학교 일본연구센터 2010 일본연구 Vol.14 No.-

        本稿では、日本の文學にそのまま取り入れられた中國俗文學の形式について考察した。特に、回目という小說の始まりの部分と章回の終りの部分に注目した。中國俗文學の大きな特徵は章回小說である。章回というのは、各小說の目次が章や回になっていることである。この章回小說は、日本には中世までは中國俗文學のようなものはなかった。中國では卷のものもあるが、時代の流れにより回や章になっているものが增えていく。さらに回目(目次)のように、二行からなる目次が流行する。こういうスタイルが日本にも傳えられ、讀本、通俗和譯本、日本人作白話文、漢文戱作の一部、明治期の文學にも影響を及ぼしている。回そのものは、言文一致の創始期の作品にも現われているが、二行の回目は用いられなくなる。さらに、章回の話の導入部に話說·却說·閑話休題のような話題轉換語も多數用いられ、中國俗文學の體裁を帶びている作品が多く見られる。中國俗文學における章回の終りの部分には結びの常套語が用いられる。これは、一般的には畢竟を伴いつつ且聽下回分解をもって結ぶという形式である。且つ下回の分解を聽けの意味で、また次の話が續くことを語り手が示す方法である。日本の文學にもそのまま受入れられて、近世の讀本、極一部の通俗和譯本、日本人作白話文、明治期の漢文小說の一部にも用いられているが、特に、明治期の飜譯·政治·講談などの文學作品に多數用いられている。明治期の場合は20年代以前の作品に集中していて、且聽下回分解のような原形を保っているものもあれば、看官次回次卷次編のような指標を用いる場合も多い。このように、中國俗文學の形式をそのまま日本文學に導入している作品が多く、中國俗文學が近世や近代の日本文學に影響を及ぼしていることが分かった。しかし、日本における章回小說の回目や結びの常套語は、言文一致の創始期である明治20年代以後は特殊な資料以外には用いられなくなり、一時的な流行であったことがわかる。

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        近代の「涙」は何に譬えられたか

        나공수 고려대학교 글로벌일본연구원 2014 일본연구 Vol.21 No.-

        本稿は、近代における文学作品に現われる涙の譬えを調べたのだが、その結果、次のような用法の見られることが明らかになった。まず、直喩か隠喩かについて見ると、何に譬えるかによっても異るが、全般的に見ると隠喩的な譬えが好まれていた。直喩の場合は多様な文体が見られたが、文語文や言文一致の未完成の影響のためか「如し」の形が多かった。隠喩の場合は「涙の∼」が大部分で、「∼の涙」は非常に少なかった。その他に、特別な形式のない隠喩もかなりあった。次に何に譬えられたのかを見ると、殆んどが自然と関係のあるものであった。中でも水と関係のある地形が多かったことが特徴的である。地形では「滝」が一般的に用いられていて、「泉․谷․川․海」などの表現も好まれていた。また、自然のうち「降水․降雨」関係のものでは、「露」と「雨」が一般的に用いられていたと思われる。最後に大げさなレトリックの問題について見ると、譬える内容によって異ってくることがわかる。簡単にいえば、「露․玉․種․豆」のようなものは目許あたりにある涙の様子を表していて大げさの度合いは殆んどないといっていい反面、「雨․霰․滝․川․海」などのような譬えは、涙を流している様子や量が甚だしいことを物語っているのである。このように、涙を他の言葉に換えて表現することによって、登場人物の心情、あるいは作家の感情移入の様子が明白になっていくことがわかったように思われる。しかし、本稿では近代文学作品における用例のみを対象に考察したので、これを契機として時代的変遷についての考察に歩を進める必要性を感じている次第である。

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        近世·近代における 「措大·窮措大」考

        나공수 한국일본어문학회 2011 日本語文學 Vol.49 No.-

        本稿では、日本の近世や近代における比較的低頻度の語と思われる「措大·窮措大」をめぐって考察した。「措大·窮措大」は、中国で主に詩や俗文学に用いられていた。日本においては、近世後期以後、「措大·窮措大」が本格的に用いられるジャンルは「繁昌記」である。近世後期から明治初期にかけて刊行された「繁昌記」に特に多く用いられているが、世相を批判した形の繁昌記であるだけに「貧乏」の様子が多く描かれている。その一断面として「措大·窮措大」が良き材料になったものと思われる。しかし、繁昌記では「措大·窮措大」の使い分けがあったらしく、「措大」はマイナスイメージとして描かれ、「窮措大」は他人に対しては「卑しめ」、自分に対しては「謙遜」のイメージが強かった。近代(主に明治期の文学)の普通の文学作品では、「措大·窮措大」が繁昌記の「窮措大」の例と同様、一般的に「卑しめ·惨めさ」を表わす場面が多いが、自分に対しては「謙遜」の意味で用いられている場合もあった。「措大·窮措大」と殆んど同じような「貧〜·寒〜」を語基とする語も多数ある。 このように、「貧〜·寒〜」を語基とする語が多く用いられていたにも関わらず、難解な漢語である「措大·窮措大」も用いられていたことは何を意味するのだろうか。それだけ、近世や近代の文人は中国俗文学に関心を寄せていたということであり、造詣も深かったことを意味しているのである。それにより、近世や近代の文人は中国俗文学に見られる言葉にも執着し、自分の文学における言語世界に反映させたものと思われる。日本の近世や近代に中国俗語が用いられていたことは、表記の面から見ても、漢字使用の世界を多様化してくれた要因であったわけである。

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