槇本楠郞と李周洪は、1930年代を前後にした韓・日両国のプロレタリア児童文学の基盤を作った文学家だと言える。特に槇本楠郞は、1930年4月、世界社から刊...
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부산 : 부산외국어대학교 대학원, 2007
학위논문(박사) -- 부산외국어대학교 대학원 , 일어일문학전공 , 2007. 8
2007
한국어
730
413
부산
ii, 172 p. ; 26cm
지도교수 :김정혜
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槇本楠郞と李周洪は、1930年代を前後にした韓・日両国のプロレタリア児童文学の基盤を作った文学家だと言える。特に槇本楠郞は、1930年4月、世界社から刊...
槇本楠郞と李周洪は、1930年代を前後にした韓・日両国のプロレタリア児童文学の基盤を作った文学家だと言える。特に槇本楠郞は、1930年4月、世界社から刊行された『プロレタリア児童文学諸問題』と1930年6月、紅玉堂書店から刊行された『プロレタリア童謠講話』、1936年7月、東宛書房から刊行された新兒童文學理論という三冊のプロレタリア児童文学理論書で日本プロレタリア児童文学の理論的礎石を敷いた文学家である。
一方、李周洪は1920年代後半から1980年代まで、長い間作家活動をしながら時代の暗さと社会的な苦痛に目をそらすことなく立ち向かってきた作家であるし、19930年代を前後とした日本帝国主義による强占期に朝鮮プロレタリア児童文学に携わりながら童話と童謡、評論、児童劇などの分野で活発な作品活動をした。
槇本楠郞が1930年に刊行した2冊のプロレタリア児童文学理論書、『プロレタリア児童文学諸問題』と『プロレタリア童謠講話』は日本プロレタリア児童文学の理論書として他のプロレタリア児童文学作者達に大きな影響を及ぼした。1924年、日本に留学した李周洪は、彼の随筆とプロレタリア児童文学についての評論、「兒童文學運動1年間、今後運動の具體的な立案」を通して自ら槇本楠郞の影響を受けたと言っている。これは、今までの既存研究により検証された事実であるが、まだ具体的な影響関係は詳しく検証されなかった状態である。
本稿では、このような李周洪の言及をもとにして槇本楠郞と李周洪のプロレタリア児童文学理論と作品を中心に一つ一つ比較・検証した。それは両作家の文学理論・作品上の影響関係が検証できる近道であると思われる。その比較・検証の結果をまとめると次のようである。
第一、李周洪は、童謡の評論で児童文学の超階級性を正面で批判している。児童は「超階級的な存在ではなく幼い階級人」であると主張している部分は、槇本楠郞の児童文学理論で言及している部分と相通じる部分である。槇本楠郞が彼のプロレタリア文学理論書で「児童は超階級的存在ではなくどちらかの階級に直續する幼い階級人である」と主張しながら超階級性を批判している。階級的イデオロギーを通した理論的主張をする部分は、李周洪のプロレタリア児童文学理論は槇本楠郞のロレタリア児童文学理論から影響を受けたことを裏付けていると思う。
第二、童話理論で李周洪はイデオロギー確率を促している。童話を書くことにおける問題は、「現実・非現実の問題ではなく、イデオロギーの問題だ」と主張している部分は、槙本楠郎の『プロレタリア児童文学諸問題』で童話に於ける「現実」「非現実」の問題を指しているのと相通じることである。だから、李周洪が槙本楠郎の兒童文學理論の影響を受けたことを明らかに裏付けている部分である。
しかし、李周洪の場合、ただ、「現実」「非現実」の問題が表現様式の問題に局限されたことではなく、童話制作におけるプロレタリアのすべてもことが現実的であるべきことを主張している。また、現実の児童の要求と効果付与を考えて、得だと考えられる場合には非現実的な話を書いても構わないと主張していて、現実的にプロレタリア児童文学の理念を越えて社会現実と妥協している面がうかがえる。このような童話理論の底には槙本楠郎の童話理論が潜在していて、少なくとも李周洪は、槙本楠郎の児童文学理論を読んでみたと考えられる。従って、李周洪は槙本楠郎のプロレタリア児童文学理論に基づいて「児童文学運動1年間、今後運動の具体的な立案」という評論を書いたことが分かる。これは、李周洪が槙本楠郎の理論を明らかに影響をうけていることを裏付けている部分である。
以上のような理論的・作品的考察と検証の結果、槙本楠郎と李周洪のプロレタリア児童文学世界は、児童文学理論上の影響関係のみならず童謡・童話の世界でも題材と内容の面で大きな類似性を持っていることが分かる。このような類似性は、両文学者が根本的にプロレタリア文学にその理念的根拠を置いてあることで、児童文学というジャンルの特性上、児童達に親しい伝統的な題材を主に扱われていて、内容が志向している方向もそのような題材の類似性に根底しているわけである。
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